逃げるしっぽを追いかけろ

生物学専攻大学院生の趣味ブログ・マイペース更新

公開特許公報がある=特許権がある??

新しい研究が始まる。

その準備として「こういう道具ないかな」と思って探していたものが、既に発明されていた。そして、それは公開特許公報にまとめられていた。

 

すごく丁寧に説明されているし、このアイデアをもとにすれば求めている道具が作れるかもしれないぞ……!

 

思わず心が躍ったが、すぐに不安になった。

 

公開「特許」公報ってことは、このアイデアを使って道具を作るのは特許権の侵害なの?

 

今回は、私がどうやってこの疑問に決着をつけたかを紹介する。

 

公開特許公報からは権利状況はわからない

特許出願がなされると、1年6か月後に公開公報が発行されるが、その時点ではまだ特許権が発生していない。

 

特許権を取得するためには、さらに料金を払って審査をしてもらわないといけないのだ。

審査を受けるには費用も手間もかかるので、実際には他人が特許権を取得するのを防ぐために特許出願だけしておいて、特許権の取得まではしない、という人もいるらしい。

 

では、公開特許公報が見つかったとして、本当に特許権があるかどうか(=権利状況)はどこで確認できるのだろうか?

 

権利状況を確認しよう

公開特許公報から権利状況はわからないが、番号は得られる。例えばこんな番号だ。

20XX-XXXXXX

始めの20XXは公開された西暦ではないかと推測している。

 

この番号を、特許情報プラットフォームj-platpatで検索してみればいいのだ。

 

検索結果から、これだというものを見つけて開く。

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開いたらこんな画面が出てくるはずだ。

そこで、経過情報(わかりやすいよう上の画像ではグレーにしてある)を開けば、特許権の有無はだいたい予測できるのではないかと思う。

 

経過情報のページで、たとえば

本権利は抹消されていない

と書いてあれば特許権があるんだな、と考えて良いと思う。

 

逆に、審査記録の欄に

登録料納付

の記載がないようなら、まだ特許権は付与されていないと考えられる。

(ただ、時期によってはこれから付与されるかも、自分はそんなギリギリの戦いは必要ないのでそこまで調べてはいない。また、実際の手続き状況とj-platpatの更新時期にはそれなりにギャップがあることも指摘されている)

 

 

もちろん、きちんとしたことが調べたいならこんなブログなんか読まずにプロに相談したり正式なところで調べたりした方が良いと思うけれど、なんとなく気になった時には、こんな風にすれば特許権の有無が推測できるよ、というお話だった。

 

「正式なところ」としてはこちらも参照するのをお勧めする。

www.jpo.go.jp

研究テーマと実験の整理【視覚化】

3月が始まってから、新しく1つのテーマをもって研究をしている。

このテーマというのがかなり大雑把なので、実際にはさらに小テーマに分けて、それぞれに対して実験をするような形になっている。

 

ところが、自分はすぐにのめり込んでしまう質なので、ひとつの実験に労力や時間をかけすぎたりして、周りに心配をかけてしまっているらしい。

 

そこで、テーマと実験を整理して常にパッと見られるようにしてみたいと思った。

 

テンプレート

プロジェクトの視覚化をするとき、それぞれの要素をどう並べるのが良いか。

はじめに思いついたのがこれだ。

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これは、小テーマごとの近さでそれぞれの関連具合は見られる一方、新しく何かを書き足すときにスペースが足りなくなることがあるし、時系列などで確認しづらい。

また、できれば予定している実験・進行中の実験・完了した実験の整理もできるようにしたい。

 

そこで、今回はこの方式で行くことにした。

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アナログか、デジタルか

デジタルの方が編集しやすいが、アナログの方が見返しやすい。

私はアナログの方が好きだ。

 

だが編集しやすさも大事にしたい…。

 

行きついた先

アナログであっても、これならルーズリーフの差し替えや並び替えで編集も簡単にできる!

 

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これだ!

小テーマの時系列を書き込める印刷用のテンプレートだけ作ろう。

予定・進行中・完了の変化は、貼ってはがせる付箋に書いたものを使えば表現できる。

 

ということで、この整理方法をしばらく試してみようと思う。

何か困難や改善点が見つかったらまた改良版を考える予定。

 

3月1記事も書けなかった反省…。

『JUNK HEAD』(2017)主人公の体が地下に潜るほど変わっていくの結構好き【映画感想】

元々『ニャッキ』や『ひつじのショーン』を見て育ってきたし、『PUI PUIモルカー』でストップモーションアニメにハマり直したので観ることにした。アマプラ。

gaga.ne.jp

 

多くのキャラに共通しているのだけど、下膨れのほっぺや、眼鼻のバランスが赤ちゃんぽくてかわいい。そんなキャラ達が血を流したり中指を立てたりするのが、ディストピア感を盛り上げている(ここら辺が無理な人には「悪趣味」と感じるのかも。『PUI PUIモルカー』の見里監督がつくった『マイリトルゴート』にも通じる)。

あと、ぷっくり唇も良いけど個人的には切れ込みみたいな口も好みなので、どちらも出てくるこの映画は普通に自分の趣味にハマってた。

 

【あらすじ】

科学技術の発展と引きかえに生殖能力を失っている人間たち。かつて新たに生きる場所を求め発展させた地下施設は、こき使ってきた人工生命体マリガン達の反乱により占領されている。さらに、新種のウイルスが蔓延したことにより、地上の人口は4.5億人ほどに減ってしまう。増殖を続けるマリガン達の体を調べて生殖能力を取り戻すため、地下へ細々と探索者を送り続けるのが人間に残された希望。主人公は探索者の1人として、単身、地下の冒険へと乗り出す……。

 

地下のダンジョンが不気味で楽しすぎる。コンクリが割れる感じとかってやっぱり内装屋さんの経験がいきてるんだろうか。

 

ここから下は一応、読むなら視聴済みの方が良いと思う。

 

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地下に送り込まれた1人の探索者、パートン(上図)が主人公である。元ダンス講師で、人口が激減するまでは虚ろな電脳空間で踊りを教えていた(回想シーンで、生徒の背中のなまめかしさが退廃的で享楽的な感じを醸していて記憶に残った)。しかし、人口激減のあおりを受け、収入と冒険を求めて探索者の仕事に申し込んだのだ。

 

どうやら人間は頭部さえあれば生きていける設定らしく、逆に頭より下の体はいくらでも替えがきくらしい。地下へ潜る途中、兵士マリガンから戯れに射撃されたパートンは体を失ったものの、3バカ兄弟(アレクサンドル、フランシス、ジュリアン)に拾われ、博士マリガン達の尽力で仮初めの体を手に入れる。

ちなみに、マリガンによる反乱からはずいぶん時が経っているらしく、マリガン達の中では歴史がゆがんで伝わって「人間=神」という理解が定着している。だから、主人公は人間というだけでちょいちょい優遇される。この設定にはほんのりとなろう系の匂いも感じるけど、3バカがパートンのポンコツ具合から「神も大した事ねえな」と漏らしたりするので、むしろ過去の対立や「人間=神」という誤認を越えていくストーリーにつもつながり得ると思った。

 

地下では、知性を持つマリガンだけでなく、獣っぽいマリガン達が深海のような生態系を構成している(ワイルドライフみたい、と呟いたらワイルドライフに失礼だろと突っ込まれたけど、普段大きい動物に捕食されてる小さい動物が、大きい動物の死骸に群がるのって凄くそれっぽいと思う)。けっこう生々しい描写が出てくるので、自分は全く構わないのだけど他人と見ていると少し気まずい。

 

リハビリのために3バカの仕事に同行したパートンは、新しい体になじめないまま3バカからはぐれ、さらに深いところへ転落し、再び体を失ってしまう。そこにもマリガンの村(バルブ村)があって、役立たずの機械バカ扱いされている1人の村人が体を再建してくれるのだけど、体のつくりは更にお粗末になり、発話機能も失われてしまう。個人的に、冒険が進むにつれて主人公の体がダウングレードしていくところが結構良かった。様々な能力やスペックを失いつつも逆に心の強さや仲間を増やしていくというのは、物語が進むにつれ主人公が強くなっていく少年漫画展開にばかり接してきた身としては、新鮮だし励まされた。

それと、体が変わっていくってそれだけで面白い。小さいころ、『ぽっぺん先生と帰らずの沼』という本が大好きだったことを思い出した。主人公ぽっぺん先生がひょんなことからウスバカゲロウに転生し食物連鎖の中に巻き込まれる。捕食されるたびにその捕食者へと意識が乗り移っていく目まぐるしい展開に、ワクワクしながら読んでいたことを思い出した。

 

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パートンは、バルブ村で人間と知られることも無く皆から雑用係としてこき使われ(子どもたちがクソガキで良い。ろくな大人にならない気がするけど、こんな感じで村は何年続いてきたのか? と思いをはせたり)、さらに地下へ食料のクノコを買いに行くお使いに出される。

このお使いシーン、絡んできた詐欺師(上図)の結末まで含めてめちゃくちゃ面白いのだけど、字幕がない方がもっと面白かったのではないかと思う。せっかくキャラの見た目と動きからその内面が伺えるようになっているので、字幕で全部説明しないで精々セリフにちょっと日本語を混ぜるぐらいの方がより楽しめた気がした。

 

お使い中に知り合った炎番の設定も個人的に好きだった。実は上のバルブ村の安全に関わる重要な役割を担っているのだけど、炎番はたいして賢くないので自分の仕事の重要性を知らない。村の方は村の方で、炎番のミスから生じる危機に対症療法的な措置は取るが、地下施設の仕組みを完全には理解できておらず炎番の存在も知らないので根本的な問題解決には至らない。

自分のしていることの重要性をわかっていない・自分の命に係わることを理解できていないという歯痒さがあって、特に子どもの頃の自分が観ていたらすごく印象に残る設定だろうと思った。

また、地下に潜るほど文化レベルが下がっていくであろうことも伺え、深みがあって良い。(欲を言うとエネルギー補給の設定をもう少し詰めてほしい。主人公の動力源や炎番を含むマリガン達の食事が描かれるとよりリアルになりそう。クノコシーンがすごく面白かっただけに気になる)

 

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パートンが地下で出会う少女ニコ(上図)は、繁殖のキーになるんだろうな感がすごい。あの髪質とか、生命の木の母体になりますよ!と言わんばかりだ。個人的にはそこまで望んでいないけれど、今後、多少ロマンスも入ってくるのだろうか。

というか、マリガンの村には女型と男型のマリガンがいたけれど、それって形だけで、結局生命の木になった実からしかマリガンは生まれないのだろうか? ここ疑問に思ったので続編に期待。

 

本作の結末は、確かに、オチとしてはちょっと弱かった。「次は具体的にどうするぞ!」というのが無かった気がする。

体が真っ二つになって身体能力を失った主人公が今後どうやって動くか確定して(さらなるダウングレード)、さあ、アレクサンドル達とともに博士のもとorバルブ村に帰ろう! と思った矢先…!? ぐらいの引きで終わってほしかった。わがまま。

けれど、造形や動きや世界観をもっと見たいので、続編が楽しみ。

 

どうでもいいけど、フランシスとジュリアンの最期、思わず「シィーザァ――!!」と叫んでしまった。

血があふれてくるところでもう一度「シーザーじゃん…泣」と。

インド人の数感覚と手相の関係

インド人の友人の数の数え方が面白い。

以前、何の数か忘れたが「この料理って何種類のスパイスを使ってるの?」的な質問をしたら、期せずして数感覚の違いを知ることになった。

彼女はおもむろに片手を出し、

"1, 2, 3, 4..."

もう片方の手の人差し指で、一本ずつ指をなぞっていく。

日本人的な感覚だと、片手で数えられる数は

    指を伸ばした状態の5 + 指を折った状態の5 = 10

なので、「あ~8種類くらいなのかな~」と眺めていた。

 

ところが、彼女の片手のキャパはそんなものではなかった。

"5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, (えっ?) 12... yes, 13!"

余裕で13を数えたのである。この人片手でいくつまで数えられるの??

足の指まで入れたらどうなっちゃうのか??

 

聞くと、彼女は片手で15数え、両手で扱える数が30に達するらしい。

インドの人々は数感覚にすぐれており、それが国を挙げてのIT化に成功した一因かも、という話は聞いたことがあったので、これが摩訶不思議な印度数学の源…? と思いつつ(今思えば大袈裟すぎる)、どうして片手で15も数えられるのか聞いてみた。

 

彼女が言うには、指を先端部・中部・付け根部に分け、

    先端部5 + 中部5 + 付け根部5 = 15

となるらしい。

 

けれど、他の指はともかく親指を3つに分けるのって無理ないか?

貧弱な英語を必死に使いつつ(サムイズセパレーテドイントゥオンリー2!)片手を差し出すと、彼女は、いや親指も3つに分かれてるがな、と私の手の横に自分の手を並べた。

 



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"「Oh...」"

なんとインド人の親指は3つに分かれていた。島田秀平が見たらすごい早口で色々と解説を始めそうだが、これがインド人の普通らしい。

 

ヒトの指が3本だったら3進数の文化ができていたかもしれない、という話は聞いたことがあったが、実はヒトの中でも、手相によってちょっとずつ数感覚が違うのかもしれないと感じる出来事だった。

研究発表スライドのチェックポイント

研究発表が一段落着いたので、研究発表スライドのチェックポイントをまとめておこう!

 

大きな流れとしては「導入→方法→結果→考察→今後の課題」が基本。

 

全体で意識できるといいこと

🔲スライドの見やすさと統一感

具体的に全てのページに必要なのが、

1.今大きな流れの中のどこにいるのか

2.ページ数(質問する側にとって便利)

これをできるだけシンプルに、一貫したデザインで見せられると良い。

※無駄に色数を使うのはNGだが、条件ごとにテーマカラーを決めて使い分けるのは最高。(2022/2/17)

 

タイトルは見やすいよう大きく書くが、ひとつの内容で複数枚に渡るときは、2枚目以降はヘッダーにタイトルを移すのがおすすめ。

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🔲口に出す言葉の中からスライドに入れる言葉を決める

🔲伝えたいニュアンスはイラストなどで補う

 

🔲始めに口頭で全て伝えるつもりで原稿を書き、それを視覚的に補ってくれる道具としてスライドを作る。

原稿が書き言葉になったり、流れが悪くなってしまう人におすすめ。

 

導入

🔲場に合わせた導入を

一般の人向けなら、日常生活でこういうこと気になりません?とか、こういう病気があるけどまだ良い治療法がないんです、とかから。専門家相手ならもっと詳しいところから。このレベル感をスライド全体に適用する。

 

🔲導入部の展開

私がよく注意されてしまうミスが、先行研究の紹介から始めてしまうこと。好ましい流れとしては

 

どういうことが知りたいのか

    ↓

どういうことが分かっている・わかっていないのか。

これから紹介する自分の研究が立脚している先行研究(必要なら)

    ↓

それに対し自分は何をしたか

 

熱のこもった研究は、自然にこの流れになっている気がする。

 

目次

🔲実験が複数ある時は目次を活用

目次の有無は与えられた発表時間による。

十分に時間がある時は、「初めにこれをやったらこれが分かったので、それをもとにこれも実験した」という流れを時々聴衆に思い出してもらうために間に目次を挟むと良いかも。

 

下の図のように、これから見るところを強調する、そして結果を見せた後には結果から言えることに書き換える、などの工夫でさらにわかりやすくなる(ただし、余裕がある時。時間がないならこれは些末なこと)。

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方法

🔲聴衆が様子を具体的に想像できる

一般的な手法ならひとことで済むかもしれないが、行動実験や自作の実験システム、目新しい手法とかなら、図や動画も入れる。ここでも聴衆が何を知っているか理解しているほど適切な見せ方ができる。

 

結果

🔲グラフの縦軸、横軸、単位はわかりやすく

これは基本~☝

 

🔲グラフ→グラフで注目してほしいこと→つまりどういうこと

グラフから言えることをスライドの下に1行で書くのが親切。

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ちなみに、独自の指標を導入するのって基本的にはできるだけ避ける方が良いのだけど(先行研究でもっと良く考えられた指標があるのでは? 導入する前によく確認しよう)、どうしても使う場合はその指標(の正負、絶対値)が何をあらわすのか、そして具体例があると聴衆にもわかりやすい。

 

考察

🔲結果を見せた流れと同じ流れで考察もしたい

もっと言えば実験結果が複数の場合は、結果→考察→結果→考察とした方が分かりやすいことも。方法もまじえつつ臨機応変に。

 

「なぜ○○だったか?」みたいなタイトルだと興味を持たれやすい、らしい。

 

今後の課題

🔲今回のまとめを見せたうえで今後の課題を

今回の研究でどこまでわかったかを短文でまとめてから今後の課題を見せるのが親切。

 

補足

🔲質疑応答対策

質疑応答を想定すると、これ聞かれそうだな、というのはいくつか思いつく。質問されたときに口だけじゃ説明しきれないと思うなら、発表中には使わない補足スライドを作っておくと助かる。

 

非表示スライドとかで、より細かい条件や様子、参考情報を見せられると、質疑応答が盛り上がって自分も楽しめるディスカッションにつながる。研究の甘いところを詰められて冷や汗描くだけが質疑応答じゃない!(という願望)

 

 

1月は2記事/月の目標を達成できなかったので、今月は3記事書きたいな。

謹賀新年イラスト

新年あけましておめでとうございます。

今年は絵を描きながら年を越した。大みそかに『藤本タツキ短編集 22-26』を読んで感化されたのかもしれない。

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岩をめくったらカニを見つけました

2021は一時期ずっとカニ捕りをしていたので。あと、2022は自分の体を動かしていろんなものを掴みに行くぞという思いも込めて。

この絵のモデルは私ではないけど、それにしても足長すぎですね。もっと頭が大きくても良かったのかも。説得力のある立体感を出せるようにになりたい。

左右対称じゃない私たち

私たちの体は、大まかに見れば左右対称だけど、詳しく見てみるとそうでもない。

顔の造りで考えたって眉や耳の高さが違ったりするし、胃や心臓の配置を見ると、体の左右は単純に鏡映しになっている訳ではないなと思う。

 

私が今大学でやっていることも、これと少し関係があるかもしれない。というのは、脳の左右のことだ。

ヒトが言語を操るうえで重要な脳の領域として、ブローカ野(言語発信)とウェルニッケ野(言語理解)というものがある。これはどちらも左脳側に位置している人がほとんどだ。だから、人の話を理解しようとしたり何か発言をしようとしたりすると、左脳の活動が上がるらしい。

この活動の非対称性が、左右対称な体の運動(例えば歩行)に影響を与えるかもしれない、というのがポイントだ。

 

歩行というのはわりと祖先的な活動で、ヒトは二足歩行だから確かに四足歩行よりは新しい活動ではあるけれど、手足を動かす仕組みは他の四足歩行の生物のメカニズムと共通する部分が大きい。その神経回路は、わりかし左右対称に配置されているらしい。

ところが、ヒトが言葉を操るようになって左右非対称な言語中枢(ブローカ野やウェルニッケ野を含む言語の扱いに関わる領域)が発達してきたことで、その非対称な回路と運動を司る左右対称な回路が干渉して、左右非対称な影響が出るのではないか?

 

まあこれ自体単なる仮説で、まだ証明されているとも言えないのだけれど、もしそうだとしたらますます謎は深まるばかりだ。

言葉を操るのも大切なことだけれど、やっぱり生物としてはきちんと運動できることが第一だと思う。なのになぜ運動の対称性を損なうような配置に言語中枢が発達するようになったのだろう?もちろん、左右非対称な影響が出ると言っても、それは微々たるもので、健康な人ならそのせいで転ぶなんてことはない。もともと大した影響は生じないものなのか、影響を抑えるように進化してきたのかわからないけれど、とにかくその影響を補って余りあるメリットが、言語中枢の偏りにあったのだろうか?

っていうか、チンパンジーとかは賢くて手話を習得したりするらしいけど、その時の脳の活動にも左右の偏りってあるのだろうか?言語中枢の起源が知りたい。

 

こういうことを考え出すと面白くてとまらなくなる。これぞ基礎研究の楽しさだと思うが、同時に、この面白さって世間一般の人からしたら「金にもならんし面白くもないわ、もっと社会貢献しろ」って言われてしまうものだろうかとも思う。

 

※今回は自分が今やっていることの面白さを見つめなおそうと思ってつらつら書いたので、参考文献とかも全く載せていない。あまり信用しすぎず、いち大学生の考えるあれこれぐらいに理解していただきたい。