逃げるしっぽを追いかけろ

生物学専攻大学院生の趣味ブログ・マイペース更新

左右対称じゃない私たち

私たちの体は、大まかに見れば左右対称だけど、詳しく見てみるとそうでもない。

顔の造りで考えたって眉や耳の高さが違ったりするし、胃や心臓の配置を見ると、体の左右は単純に鏡映しになっている訳ではないなと思う。

 

私が今大学でやっていることも、これと少し関係があるかもしれない。というのは、脳の左右のことだ。

ヒトが言語を操るうえで重要な脳の領域として、ブローカ野(言語発信)とウェルニッケ野(言語理解)というものがある。これはどちらも左脳側に位置している人がほとんどだ。だから、人の話を理解しようとしたり何か発言をしようとしたりすると、左脳の活動が上がるらしい。

この活動の非対称性が、左右対称な体の運動(例えば歩行)に影響を与えるかもしれない、というのがポイントだ。

 

歩行というのはわりと祖先的な活動で、ヒトは二足歩行だから確かに四足歩行よりは新しい活動ではあるけれど、手足を動かす仕組みは他の四足歩行の生物のメカニズムと共通する部分が大きい。その神経回路は、わりかし左右対称に配置されているらしい。

ところが、ヒトが言葉を操るようになって左右非対称な言語中枢(ブローカ野やウェルニッケ野を含む言語の扱いに関わる領域)が発達してきたことで、その非対称な回路と運動を司る左右対称な回路が干渉して、左右非対称な影響が出るのではないか?

 

まあこれ自体単なる仮説で、まだ証明されているとも言えないのだけれど、もしそうだとしたらますます謎は深まるばかりだ。

言葉を操るのも大切なことだけれど、やっぱり生物としてはきちんと運動できることが第一だと思う。なのになぜ運動の対称性を損なうような配置に言語中枢が発達するようになったのだろう?もちろん、左右非対称な影響が出ると言っても、それは微々たるもので、健康な人ならそのせいで転ぶなんてことはない。もともと大した影響は生じないものなのか、影響を抑えるように進化してきたのかわからないけれど、とにかくその影響を補って余りあるメリットが、言語中枢の偏りにあったのだろうか?

っていうか、チンパンジーとかは賢くて手話を習得したりするらしいけど、その時の脳の活動にも左右の偏りってあるのだろうか?言語中枢の起源が知りたい。

 

こういうことを考え出すと面白くてとまらなくなる。これぞ基礎研究の楽しさだと思うが、同時に、この面白さって世間一般の人からしたら「金にもならんし面白くもないわ、もっと社会貢献しろ」って言われてしまうものだろうかとも思う。

 

※今回は自分が今やっていることの面白さを見つめなおそうと思ってつらつら書いたので、参考文献とかも全く載せていない。あまり信用しすぎず、いち大学生の考えるあれこれぐらいに理解していただきたい。