逃げるしっぽを追いかけろ

生物学専攻大学院生の趣味ブログ・マイペース更新

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)全く背景を知らずに観たので、「条件達成して歓んでいるループものの主人公の横で呆気にとられているモブ」みたいな気持ちになった【映画感想】

自分で書き溜めている「観たい映画リスト」にタイトルがあった、という理由だけで観た。観終わってから??となり、色々調べて、何故自分がこの映画をリストに加えたのか思い出したのだけど、それはまた後で。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド | ソニー・ピクチャーズ公式




!!!ネタバレあり!!!

自分の出演作に対する観客の反応を確かめに行くシャロン・テート


念願のハリウッド住みを叶えたものの今や落ち目の俳優リックと、その相棒でありスタントマンを務めるクリフ。街ではヒッピーが流行っており、奔放な服装の少女達が裸足でゴミ漁りをしている様子も日常茶飯事だ。

不安定な身の上ながらいつも飄々としているクリフに比べると、リックはヒステリックな性格で、俳優として起死回生したいともがき苦しんでいる。
そんなリックにチャンスが与えられる。ウェスタン映画の悪役という、全くの新境地。日本で言えば時代劇だろうか?
リックはオファーに対して後ろ向きで、嫌嫌ながら役を引き受ける。(けど家に帰れば真面目に練習するし、自分のキャリアがこの役にかかっていることは心底理解している)

一方クリフはトレーラーで愛犬との二人暮らし。決して健康的とは言えない雑な暮らしながら、不安や不満を見せる様子は全くない。リックを職場へ送り迎えする合間にヒッピーの少女と視線を交わして面白がる様子も見せる。
過去には俳優(ブルース・リー?)との暴力沙汰を起こしたり、妻殺しの噂があったりと素性の知れないところはあるが、自然体で日々を過ごすクリフからは、なぜか爽やかな印象を受ける。


演技で失敗をしたり、でもそれをバネに渾身の演技を見せて華々しい成功を手にしたり、
あるいは、いつの間にか自宅がヒッピーの溜まり場となってしまっている昔の仕事仲間を心配して様子を見に行ったり、
リックとクリフの物語は展開していく。

……展開はしていくのだが、もしもこれほど画面に魅力が無ければ、自分はこのストーリーに飽きてしまうだろうな、という違和感も湧き始める。
そして、なぜか中盤からフューチャーされ始めるリックの隣人、シャロン・テート。展開するリック&クリフの物語に紛れ込ませるように、パワーと希望に満ちた新人女優の姿が描写される。自分の出演作を観客が楽しむ様子に嬉しさが隠せないシャロンは初々しく、確かに魅力的だが一方で、リックともクリフとも殆ど絡みの無い彼女がどうして映されているのだろう?と困惑が強まる。


結局、シャロン宅に押し入ろうとしていたカルト系ヒッピー達が気まぐれでリック宅に押し入りリック&クリフ(&クリフの愛犬&リックのイタリア人新妻)の逆襲を受ける場面で、はじめてシャロンとリック&クリフの繋がりが見えるのだが……これって偶然ってことだよね? シークバー的にここがクライマックスだけど、ストーリーとしてこんな必然性のない山場アリ??
呆気に取られているこちらは置き去りのまま、騒ぎをきっかけにシャロン宅にリックが招き入れられ、充足感たっぷりにエンディングが始まる。



自分は、食べ物でもエンタメでもおよそ好き嫌いなく何でも楽しむ雑な性格なのだけれど、さすがにこの時は置いてけぼり過ぎて、ネットで考察を読み漁ることにした。



そして、ようやくシャロン・テート殺害事件が下敷きとなっていることを知った。
つまり、タランティーノ監督は、映画史上最も悲しい事件の1つであるシャロン・テート殺害事件の犯人に対して、映画内で鉄槌を下したということだ。
そのことを理解すると、途端にシャロンが愛おしくなってきて、コメディチックにすら感じられたヒッピーこてんぱんシーンも、しみじみと良い思い出のような気がしてくるから不思議だった。(自分が単純すぎることは重々承知している)


実際に犯人に手を下すことはできないが、監督は映画という手段で確かに観客(自分)に充足感を与えてくれたな~と思ったところで、自分がなぜこの映画をリストに入れたのか思い出した。
藤本タツキ『ルックバック』(2021)の最終コマに、この映画のディスクケースが描き込まれていて、それで観ることを決めたのだった。
映画や漫画といった自分の武器で現実の悲しみや怒りと闘う新しい方法。現実は1mmも変わっていないけれども、創作物は鑑賞者の心を変えることができれば勝ち。こんなことができるのは自分の知っている限り人間だけだから、すごく人間らしい営みで良いな~とも思ったのだった。



藤本タツキ (2021) 『ルックバック』集英社 最終コマ一部

『ファイト・クラブ』(1999)映画の中なら全部ぶっ壊せるから気分が良い【映画感想】

自分が生まれた年に制作・公開された、という知識だけをもって観た。

結果、すごく面白かったので、ついファンアートまで描いてしまった!

ブラピって王子様キャラのイメージだったけど、男の理想みたいな役もしてたんだね。

 

絵を描いたら割と出し切った感があるので、文章での感想は少しだけ。

まず、主人公が不眠症を抑えるために、治療困難な疾患患者向けのセラピーに混ざるようになるというところから、既にワクワクして引き込まれた。何故かは知らないけれど、変な癖が出てくるとだいたいワクワクしてしまう。マガーク少年探偵団に出てくるキャンディを音を立てて噛み砕く癖とか、吉良吉影の切った爪をためる癖とか。あとは、九龍ジェネリックロマンスの、スイカとタバコを同時に味わうのが好きという話も良い。

殴り合い描写も、最初は所持品の奴隷を脱却して生を痛感する爽快感がある一方で、徐々に規律に盲従して過酷な活動に身を投じるスペースモンキー達が不気味に見えてきて、バランスが良いなと思った。自分は、唯一の正しさ(作者の考える中では)みたいなものが押し出されている作品よりも、シンプルなものでもとにかく色んな角度からの視点を示してくれる作品の方が好きだから。

最後はいわゆる爆発落ち。爆発落ちでいつも思うのは、物語はいちばん爽やかな瞬間で終わっているものの、その後で主人公たちは結構大変な目にあうだろうな~ということだ。こういう展開は終わりのある物語だからこそできるんだよな、としみじみ思ってしまった。

 

どんでん返しについては、主人公がタイラーの言うのをおうむ返しすることでマーラと会話しているあたりで、「あれ、タイラーって主人公の内側の人…?二重人格…?」と訝しみ、とはいえタイラーは尿入りスープの件で訴えられていて主人公外との関わりもありそうだから「ほな二重人格とちゃうか…」とも思い、徐々に1人ミルクボーイみたいな感覚に支配されていった。はっきりと二重人格でした、と示されたときの「やっぱりそうだよね!?」という気持ちも、作品の爽快感に一役買っていたと思う。

 

面白い映画でした。

まるでこの映画自体が、自分の人生に一コマだけ紛れ込んだポジティブな狂気って感じ。たった一コマだけど、これからの進み方にいい影響を与えてくれそうだ。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』(2023)陽キャの割り切り力は強く生きる秘訣【映画感想】

映画館に行ってみたら、コナンとマリオが人気過ぎて隅に追いやられてる感があったけど、観てきました!

marvel.disney.co.jp

 

【あらすじ(雑)】

これまで多くの問題を解決してきた、宇宙のはみ出し者集団「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」が急襲される。致命傷を負ったメンバー、ロケットを治療しようとすると、かつて受けた改造のせいで、パスコードを入力しないと安全に治療できないことが判明。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々は、ロケットの命を救うために彼の過去へと迫る冒険を始める。

 

!!!ネタバレあり!!!

 

 

 

 

 

 

普段何気なく過ごしている日常には、じつは不条理が詰まっている。

万引きを親から教えられて育った子供はどこまで責任を負うべきか?

ずっと引きこもりだったオジサンが心新たに就活を始めるのは素晴らしいが、誰が雇いたがるのか?

けれど、そんなことをいちいち気にしていたら生活が回らないので、そこはかとなく目をそらして日々を暮らす。

 

今作はもちろん娯楽なので、ノリのいい音楽やスカッとするようなアクションをノンストップで提供してくれるのだけど、同時に普段目をそらしている不条理や引っかかりを丁寧に拾って見せつけてきたので、娯楽として楽しみつつもそのエグさに圧倒された。

 

 

例えば、ロケットの回想シーンでは実験動物が沢山出てくる。

自分も普段は動物実験をしており、計測器具を固定するために手術をすることもあるので、回想シーンは胸を突かれるように感じるシーンも多かった。

もちろん自分の場合は、実験に関わる倫理を学び、先人たちの積み重ねに則り、必要最低限の苦痛や犠牲になるように計画を立てている。

けれども、実験動物、それもフロアのような子からすれば、実験の前にどれだけ配慮や工夫がなされたかは関係なく、苦痛は苦痛でしかないだろう。

結局のところ、実験上の倫理的配慮が持つ主な機能は、実験者や世間の心を宥めることなのだ。

 

個人的に、動物実験に対する罪悪感は実験手法を改善する動機となるので、完全に失うべきではないと思っている。

ただ一方で、その感受性が行き過ぎると、「ペットを可愛がったり動物園の生き物を有難がる一方で、無感動に家畜動物の肉を消費する自分気持ち悪い…」とか、「動物実験を経て開発された薬使えない…」となって、生きるのに支障をきたす。

ある程度割り切ることがコツと言える。

 

 

もうひとつ、心に残ったのが「誰にでもセカンドチャンスがある」というメッセージ。

心励まされる言葉だけれど、映画世界を見渡すとむしろ、ノーチャンスで死んでいったキャラクターの方が多い。

ハイ・エボリューショナリーに皆殺しにされたカウンターアースの住人は、自分たちの置かれていた状況を知ることすらなかっただろう。(ちなみに、動物たちをハイ・エボリューショナリーが強制進化させると皆ヒト型になるという展開は、自分とおなじヒト型こそが至高というハイ・エボリューショナリーの傲慢を示す演出だと思った。例えばニシキヘビには足の名残があり、進化の過程で足を捨てたと考えられている。生物学的に進化と言えば、その時々で環境に適した特徴が定着していくことだと考えるのが一般的だ)

だから、本当はセカンドチャンスは無いのが普通なのだ。

ただ、その貴重なセカンドチャンスを与えられた人を見た時に、そのチャンスをあるがままに認めるのか、妬みや軽蔑をもって阻害するかは私達自身が決めることだ。

映画では、「誰にでもセカンドチャンスがある」という理想的スローガンを掲げつつ、実際はそうでないこともはっきりと描かれている。

 

 

このように、「動物を傷つけるべきではないけど、ある程度は認めないと生きられない」「誰にでもセカンドチャンスが有るのが理想だけど、そうでもない」という矛盾が今作にはある。

そして、その矛盾に対する今作のスタンスが、最後のシーンではっきりと描かれている。

ロケットが、荒れ狂う宇宙生物の群れに対して「ちょっと可哀そうだがしょうがない!」と言い切って、楽しい音楽をBGMにガンガン武器をふるう(雰囲気を出す)シーン。多分、その宇宙生物たちに生き残るチャンスは無い。

このシーンを観た時に、「これが陽キャの割り切り力…強い…」と思った。

 

この映画は、作品内の矛盾を自覚して描いたうえで、めちゃくちゃ陽キャ的なノリで割り切りますよ!と主張しているのではないだろうか。

自分はそのシーンに、音楽やアクションだけでない、生きるのが上手な真の陽キャを感じた。

まあ、うじうじ矛盾に悩んでいるようでは過酷な宇宙を生き抜けないだろうから、映画の題材とのかみ合わせとしてもそれが正しいんだろうな。

 

 

陰キャくさい感想を書き連ねたけど、エンタメとしてめちゃくちゃ楽しみました!

弁当を作ろう(作戦会議)

学内奨学金の選考に漏れてしまったので、生活費節約のため自炊力をつけようと思う。

泣いてなんかないよ!

 

これまでvs節約プラン

これまで:

学食メイン 1食あたり400~500円

→週2400円ほど

 

節約プラン:

週に2回は弁当(1食200円ほど)持参

その目標を達成できず学食を利用する場合でもmax2食分は白米orパン持参

※持ち込みが喜ばれないのはわかっているのだけど、ライスの112円も割とバカにならないので…すみません…!

→週1900円ほど

 

目標としては、月の昼食費を2000円ほど下げたい🔥

 

続けられるのか?

ブログ()と違って、続かなかったら自分が困るからねえ。

余裕があったら、#弁当~出色の出来 とかで、たまには良い感じにできた弁当を記事にまとめようと画策しております。

 

 

 

 

亜人とデジタルツイン

亜人という漫画がある。現代科学が提供し得るすべての観測方法でヒトと比べても全く区別がつかない生物、ただし、「死んでも生き返る」という明確な特徴を持つ生物が亜人だ。

 

例えば、亜人の爪一枚残して、体の他の部分をその爪より小さい大きさに切り分け、そのパーツを互いに十分遠くに配置する。すると、その亜人は、いちばん大きなパーツである爪を種として体を再生し、生き返る。残りのパーツは肉片として転がったままだ。

 

物語に出てくる亜人たちは、そうやって再生成された「新しい自分」には元の自分の脳が引き継がれていないので、それは元の自分の死(人格的な死)と考えている。だから、頭部が再生成されるような死に方を恐れる。

 

 

一方で、亜人とは全く別の話として、デジタルツインという考え方がある。脳内の神経細胞が行う演算処理を人工物で再現し、人格のコピーを作るという考え方だ。

元の人格が宿る身体が死んでも、デジタルツインはSNSなどで情報を発信し続け、人格は社会的に生き続ける。不老不死の人格の出来上がり。

 

ただ、ここで亜人に戻って考えると、このデジタルツインと言うのはある時点での人格の再現ではあるが、厳密には元の人格とは別人格と考える方が適切ではないか。

 

それに、脳内の情報処理が本当に再現できるようになるとすれば、それは与えられる情報に対してとても繊細に応答するだろうし、少しの違いが将来的に大きな差を生み出すはずだ(バタフライエフェクトやカオスと呼ばれる類の)。

もちろん、元の人格と完成したデジタルツインに与えられる情報を物理的に完全に等しくすることは不可能だから、与えらえる情報の微小な差を原因として、元の人格の内部で起こることとデジタルツインの内部で起こることは徐々に乖離していくだろう。例えるなら、塩基配列上は同一であるはずの一卵性双生児が異なる人格を発達させるように。

 

こう考えると、デジタルツインで実現できるのは、対人インターフェイスあるいはペルソナの不死であって、主観の不死は実現できないのではないだろうか。

 

自分は、1つの連続した主観で色々なことを経験するのが生きることの醍醐味だと今は考えている。そういう意味では、自分のデジタルツインが自分として情報を発信し、永遠に社会的生存を維持し続けることにはそれほど魅力を感じない。

 

一方で、そうやって社会的な死を避けたいと考える人の気持ちに興味がある。

何か凄いことをして、未来永劫語り継がれたいという考え方はよく耳にするが、そういう欲求を持つ人は社会的な死を避けたがりそうな気がする。

実際のところどうなんだろうか。

ブログに広告が表示されるくらい放置した件

やってしまった…。

最後にめちゃくちゃ自虐の記事を書いたっきりで、久しぶりにブログを開いてみたら広告が表示されていた。更新が90日途絶えると表示されるあれが。

始めたての頃はあんなに高い志を持っていたのに、こんなにサボってしまってお恥ずかしい限り。

 

しばらくブログを書かないうちに、色んなことがあった。

 

研究活動に対してお金をもらえることになった。

研究が面白い一心で進学先を選んだために将来の収入の保証が無く、しかも学部卒で就職した友人たちを見ていると自分がすごく幼い感じがしていたので、少しではあるが収入ができたのはとても嬉しい。これまでは、細々と家庭教師一本でやっていたが、これからはおよそ10倍くらいの収入になる。

もちろんお金をもらう以上義務はあるものの、個人的にはたいした負担ではないので、本当にラッキーだと思う。めちゃくちゃ感謝している。

実家暮らしなので、家にお金を入れる約束もした。これも嬉しいことのひとつだ。

 

…と浮かれていたら、スマホを落として画面がバキバキに割れた。買ったばかりの機種なので、修理せざるを得ない。

まさかこんなに早く高額出費する羽目になるとは…

 

気になっていた人をデートに誘った。

すごい!

大学に進んだら恋愛は自然にできるものと思っていたが、そんなのは幻想で、恋人の1人もできないまま学部4年間を過ごしてしまった。

だから、大学院ではもっと積極的に行くぞ!と頑張ることにした。

 

実は、学部中も1回だけ人をデートに誘ったことがある。

ただ、すごく中途半端な反応をされてしまい、誘われたことが嬉しいんだか嫌なんだかわからないのが面倒になって

「なんか無理に誘っちゃってごめんね! やっぱり大丈夫!」

みたいなクソな切り方をしてしまった。

今回は行き先を厳選し、相手が喜びそうなところを提案した結果、快く来てもらうことができた。それも、以前失敗したのと同じ相手に。

デートではなく、あくまで遊びに行くという姿勢だけど。

 

何はともあれ、2人で出かけるのはとても楽しかった。

話は思ったより弾んだし、相手の意外な一面も知れた。

 

ただ、それ以来進展はない。

遊んでる間は相手も楽しそうにしてると思ったんだけど、向こうからは連絡してくることも無い。

チェンソーマンのデンジじゃないけれど、自分は自分を好いてくれる人が好きだ。

正直最初にデート誘った時も真意のわからない振る舞いをされたので、「もういいよ…」という気持ちになりつつある。

そんなに粘るほど魅力的な相手か?

いやいや、こっちから連絡する分には反応くれるだろうし、クリスマスデートにぐらい誘ってみろよ!

しかしクリスマスには既に予定が入っているのである…

実験の!!

 

けっこう大変そうな研究に取り組み始めた。

個人的には、この研究でこそ自分の知りたいことが知れる(それが研究として脚光を浴びるような成果を出せるかはわからないが…)ので良いのだけど、土日も不定期にがっちり拘束されるような研究に取り組み始めた結果、めちゃくちゃ遊びにくくなった。

そして、それを他人に言いたくない。

「大変そうだね…」と言われたくないから。

 

大変そうだね、と言われると暗に

「そんなに大したことない研究にそんなに時間や人生を費やさなくちゃいけなくて大変だね」

と言われてるような気がするのだ。(被害妄想だけど…)

むしろ

「バカだね~! でも面白そう!」

ぐらいのライトなノリで接してほしい。

あと、夜とかは空いてるから、夜遊んでほしい。

と、いうのは、この記事をつらつらと綴っていて初めて気が付いた。

やっぱり文章を書くと自分を見つめなおせるな。

 

これで広告は消せただろうか…?

「人生最悪の誕生日」って映画タイトルでありそう

今日、誕生日なのだけど、父親は発狂するし、母は家を出て行ってどこにいるかわからないし、自分の人生史で最悪の誕生日って感じがする。まあ、この先生きていたらもっと悪いことが起こって「あんなの大したことなかったな!」ってなるかもしれないけど…。

 

とにかく早く自立しないとなと思った。

色んな事に手を出しすぎてしまっているけれど、優先順位をつけて頑張ろう。

 

今日のことや、自分の性格とかを考えると、自分にはいい家庭は築けない気がする。

普段はぼんやりと憧れているものだけれど、実際無理じゃないか?

せめて友達を大切にしないとだなあ。

 

ブログとしてはクソ記事だけど、記事にしようとすることで冷静になれる気がした。

1日ぐらいクソな日があっても、GW全部がダメになる訳じゃないよね。

 

…え? もうデイサービスから祖母が帰ってくる時間じゃん! この状態で??

修羅場ってここからじゃん!!

トホホ~!